臨済宗円覚寺派 泥牛庵 DEIGYUAN

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泥牛庵について

春は桜
梅雨はあじさい
夏は蓮華
秋は白彼岸花の花の寺

子育て六浦地蔵尊

子育て六浦地蔵尊

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元は泥牛庵末寺、六浦地蔵堂の本尊で南北朝時代、現在の栃木県小山城主、小山義政の嫡男若犬丸は、吉野後醍醐天皇の南朝方に味方した為、鎌倉公方足利氏満に攻められ、二人の子供宮犬丸、久犬丸は捕えられ、鎌倉に護送途中六浦の海に沈められ処刑された。と伝えられています。
 供養の為に建てられた地蔵堂のあった六浦の丘の上には、石塔二基が今も六浦(むつら)湊を見つめるように、そしてその下には南朝方武士の宝篋印塔群が若君を見守るように今もひっそりと佇んでいます。
 明治政府の廃仏毀釈令により、三間四方の地蔵堂は廃寺となりましたが、霊仏子育て地蔵として信仰されていたお地蔵様は、本寺の当庵に移されました。
胎内にはあたかも二人の御霊を象徴するかのように大小二体の地蔵の石仏が納められています。小山市史にはこの逸話が伝わり、その記述がみられます。

仏像・寺宝

泥牛庵香炉

宝暦九年

墓地について

一般墓地・樹木葬墓地に関しましては
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